ちょっと気になったのでメモ。
何百時間もかけてフリーソフトを作った作者よりも、1,2時間でその記事書いたブロガーのほうが人目も集めるし収入にも繋がるわけなんだけど寄生型が増えると徐々に単独生存型が減っていくのが生命シミュレーションと酷似してるの面白い。つまり対策は一次発信が死に絶えないと何も打つ手が無い、と。
— 鉄 (@atomfe) 2013, 12月 28
12月に入ってこのtweet他、似たようなコメントがTLで多く散見されました。「紹介するほうがそれを作るよりも儲かる」という話。
これは、まとめサイト(2ちゃんまとめやNAVERまとめなど)が話題になったタイミングでも語られているのですが、しかしこの問題についてはもう一歩二歩突っ込んで考えてみるべきであろうと思います。
まずこの問題って元々どこに存在していたのかっていうところに視野を伸ばしてみると。
「飲食店を経営して利益を出していくのは大変だけど、それを紹介する雑誌のほうが儲かっていやがる」みたいな話は昔からあり、また「WEBでプラットフォームを運営する会社よりも広告を事業会社から媒体に流している広告代理店のほうが断然儲かっていやがる」という状況も普通に見られます。ネットで話題になった写真をまとめて本として売りやがって…みたいな怨嗟の声も何度もありましたし、そうした商売は昔からありふれているよね、というのはまず認識しておくべきところでありましょう。
で、この構図を見かけるとついイラっとしてしまったりするのが心情というものですが、なぜイラっとしてしまうかを考えてみると、「何百時間もかけて作ったフリーソフト」と対比する対象を「1~2時間でまとめたブログエントリ」ではなく「1記事を1~2時間でまとめているブログ全体」にして考えてしまっているところがあるように思えます。
正直「1~2時間でまとめたブログエントリ」単体の売上なんてものはさほどの収入にはなりませんし、1飲食店を紹介した枠が雑誌に与える利益も、1社の広告を出稿した際に代理店が受け取る取り分も(1~2割と)考えるよりも低いものです。
ではなぜその紹介側が大きなパワーを持っているかといえば、これはもう「人目につく媒体を保有している」「代理契約をしており広範囲な取次が行える」といったアドバンテージがあるからで、これは「何百時間かけて一次情報を作成」しようとも得られるものではありません。
「一次情報を作成する人が強力な媒体を保有している場合」や「既に強力な人気を獲得しており媒体に対して強気に出られる行列のできる飲食店」といった例外も存在しますがこれはさておき。
で、この関連の話で変化があったポイントを探れば、「かつてこれらのポジションは特権的な存在であったが、インターネット以後個人レベルに広まってしまい、個々人たちがなにか話題を見つけるやいなやそれを紹介拡散するようになった」ことに辿り着きます。
ここで注目したいのは特権的であった「紹介する」という行為が万民に開かれたこと。
これは「何百時間かけてものを作る人」にも与えられたことになりますし、「紹介することで収益や影響力などの対価に結び付けられない人」も大量に発生するということで。
で、思うんですよ。ものを作ることと、それを紹介して利益を得る人がいる。これは仕方のないこと。
より深刻に考えなければならないのはその情報なりプログラムなりが「誰にも何の利益にもならないまま消費しつくされてしまう」ことこそを恐れるべきであると。
昨年から今年にかけて有料メルマガやcakesなど、「情報発信者自身がその対価を得る」取り組みが試行され、そして2013年末時点であまり上手くいっていません。諸々の反省点があり、課題はあります。一方で「紹介する行為」が利益をもたらすことはNAVERまとめなどで一つ方向が見えてきつつあります。
来年もこの界隈の話題がまた1つ2つ動いてくるだろうと思われる中で、「紹介が寄生だ」「ものづくりにメリットがない」と早々に諦めを感じる前に、あれこれ考えていったほうが良かろう、そう思いますのよ。
と、そんな感じで一気書き。
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