セカイに飛び立てなかった、セカイカメラ。

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思い出消費ブロガーにはなれない…raf00です。

さて、来年一月に「セカイカメラ」が終了するというニュースが飛び込んできたましたね。
スマホ普及の初期に颯爽と登場し、その動作のあまりの未来っぷりに「すごい時代になったぞ!」と皆を驚かせた存在でした。ARという新しい方向性に凄い形の実物を見せ、今だにARを活用したサービスとしては最も大規模であろうセカイカメラは後世のインターネットに残るべき存在であると思います。

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しかし、当初から危惧していた通り、日常的な存在にはなり得ず、ついに終了となりました。

改めて振り返っても、どうやっても上手く回らない仕組みですよね。

カメラ越しに見える世界にタグ付けをし、あるいはタグを閲覧することができる…その発想はドラゴンボールのスカウターに憧れた少年たちの夢見た姿そのものでありました。
場所の制限をほぼ受けないインターネットの世界にあって、場所を軸にしたコミュニケーションが取れるという発想も非常に挑戦的であったと思います。

そして、それを実現する頓智ドットの技術力たるや、天才という言葉は決して褒めすぎではないでしょう。

しかしながら、セカイカメラはWEBサービスとしては致命的な一発屋でした。

とにかく使う機会がない。

アプリを立ち上げ、カメラをかざして世界を眺める、それをわざわざやる動機を作れなかったこと、故に「この辺でセカイカメラを起動するだろう」という場所にばかりタグ付けがされ、バランス良くコミュニケーションが取られなかったことは致命的です。
このサービスが本当は目指したかったところに、「知らなかった情報の発見」があるはずですが、それは決して達成されません、だっていつも起動してるわけじゃないし。

そして理想を実現するための道具としてスマートフォンは足りないものでした。
カメラを通して見るのは面倒臭いし危ないし周囲の人間に不審に思われるし、常時起動できるほど電池が無限に続くわけでもない。
どうスマホが進化しようともセカイカメラが求める道具に近づくことはできない、できるわけがなかったのです。

また、ユーザー同士のコミュニケーションだけでなく、様々なランドマークに公式なタグ付けをし、「あの建物はなんというのか」「行きたい場所がどこにあり、付近にどんなタグがあるのか」を探す実用ツールとしての道も考えられたでしょうが、諸企業との提携も虚しく公式タグは普及せず、後年付けられたのは不動産の広告。

遊びとしても実用としても使えない、そもそも起動する機会がない、というサービスに終わりました。

企業や自治体と組んだ様々なイベントも展開されましたが、「講演会の事例としてはウケるが、平時それで使いたくなるかっつーとかなり微妙」なプロダクトが量産されたのみ。AR技術を応用した別アプリを複数出すも、「なんかすげえイケてねえ、より一層やらねえ」ものばかりでした。しかし恋文横丁て…。

我々がセカイカメラに学ぶことは少なくありません。
そのサービスが満たされた世界がどれだけ素晴らしいかを考えることは大事ですが、どんな時にそのサービスを使うのか、そのサービスを使っている時にその人はどんな動きをしているのかを徹底的に考えなければ、夢のような技術力も一発芸に終わるということ。
継続的に利用するインセンティブがなんであるか、つい使いたくなる、チェックしてしまう仕掛けがどこにあるのか、友達に使わせるメリットがあるか、あるいは周囲に合わせて使わなきゃならなくなるポイントは?

この辺りはソーシャルで情報が拡散する今の時代、かなり重要視される要素ですが、web2.0、さらにその前の1.0の時代でも欠かせないものでした。
そして改めてこれを考えないといかんなと、セカイカメラは強く感じさせてくれます。

そして終了の報に改めて思います。スマホの夜明けに過大な夢をみんな描いていたなーって。

いやしかし、視覚のみ実現できるAR技術ってのはどうにもこうにも使い道が見えてきませんな。

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