(以下はザ・インタビューズでの回答を転載)
Q:SNSにおけるゲーム頼みな流れ。これはあとどれくらい続くと思いますか?
A:
イエスは折りたたみ携帯をしまって言われた。
「インターネットにコミュニケーションを求める人間は一定数しかいない。世の中の多くの人たちはリアルのコミュニケーションに満足あるいは疲弊していているのだ。これは旧mixiやTwitterが『ネットのリーチ率20%を超えられなかった』こと、そのレベルに達するコミュニケーションサービスが乱立し得なかったことから間違いないと言える」
イエスは席を立ってフリードリンクコーナーに行き、コーラを注いでほんの少しオレンジジュースを混ぜた。席に戻りストローでその混合ジュースを少し飲んで、また言われた。
「そしてそれは日本だけの傾向ではない。アメリカでもfacebookが拡大し、拡大の踊り場にたつという事態が起こった。コミュニケーションを求める人は一定しかいない。彼らを集めきってしまっては成長が見込めない。そしてコミュニケーションを求めない人たちこそが富をもたらすと私たちは知っている。そこでfacebookが取った方法が『ゲームを用意し、コミュニケーションを望まない人たちをも集める』というものだ」
イエスは再びストローを口にし、オレンジジュース入りコーラをぶくぶくした。弟子たちはぞっとした。
「日本においてはモバゲーがアバターの着せ替え遊びを使って栄あれ!と唱えた。この方法はコミュニケーションの意欲の低い者たちをも取り込んだ。そして次にゲームを取り入れた。」
腹をすかせた弟子の一人がフォカッチャを注文し、一枚のフォカッチャが運ばれてきた。イエスは弟子から取り上げ、感謝してこれを裂き皆に分け与えた。「弟子の頼んだフォカッチャは私の身体。皆で食べなさい」そして続いて言われた。
「モバゲーのゲーム戦略は大いに当たった。ゲームを目的として多くの者達が集まり、そこに金を落としていった。コミュニケーションを求めない者たちがゲームを有利にすすめるためにコミュニケーションを取るようになり、そしてその国は栄えた」
弟子の一人が欠伸をしたが、イエスはこれを無視して言われた。
「わかりますか。facebookが高学歴層を取り込みきった後に低学歴層をも取り込まれたのも同じ状況である。即ちSNSはゲーム頼みなのではなく、コミュニケーションとしてのSNSと、ゲームとしてのSNSを兼ねているのである。facebookはこれにビジネスを増し加え、三位一体のものとして巨大な帝国を作ったのである」
「サイゼリアからの手紙」3章を終わります。主に感謝。
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※文中でポイントは一言で言及し終わっているのですが「回答に答えてねえ」というコメントが多発したので、2011年9月7日13時30分に「サイゼリアからの手紙」の4章からを下記に引用します。
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隣の席にサマリアの女がいた。女は席を立ちイエスの前にひざまずいて言った。
「先生。あなたは預言者だと思います。それで結局、ソーシャルゲーム頼りのSNSは続くのですか」
イエスは女の同席を赦した。弟子たちはただでさえ狭いソファ席をさらに詰めなければならなかった。イエスは言われた。
「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたがソーシャルゲームをするのはmixiでもなく、グリーやモバゲーでもない、そういう時が来ます。ソーシャルゲームユーザーにとってSNSのためにゲームをするのではなく、ゲームのためにSNSを選んでいるのですから。私たちは知ってソーシャルを語っていますが、あなたがたは知らないでソーシャルを語っています。しかしモバゲーが流行ったのち、クリノッペのために多くのユーザーがグリーを選んだのです。そしてまた多くのユーザーがサン牧のためにmixiに移ったのです」
イエスは彼女に続けて言われた。
「彼らの一部はコミュニケーションに目覚めるでしょう。しかし多くの人たちはゲームによってつなぎとめられています。彼らが新しいゲームの形を見つけるまで、これは続きます」
女は席に戻りイエスの言葉を伝えた。サマリヤ人のうち多くの者がイエスを信じ、サマリヤ人たちは自分たちの席に滞在してくださるように願った。そこでイエスは二時間そこに滞在され、そっと自分の勘定書きをその席に紛れ込ませたのである。
2011-09-06 23:28:59