「最近のネットはつまらなくなった」関連の話

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最近のネットがつまらない、という話が盛り上がっております。

ネットもつまらなくなった
「ネットがつまらない」≒「自分がつまらない」
グローバル化された世界での観測範囲の変え方 – 狐の王国
ネットがつまらないと思ってしまうことについて – かみんぐあうとっ

結論としてはシロクマ先生が言われる「その人自身のつまらなさと受動的ネットユースの恥ずかしい告白」であるという点、全く同感するところではあります。

その上で、この話に対して多くの反応が見られ、様々な論が展開されている裏には、「つまらない」という感覚そのものにはある程度個々に思い当たるフシがあるんだろうなぁ…とは推測できます。
いろいろとたしなめる言葉は浮かぶのですが、しかし「一日仕事をして、家に帰ってネクタイを取りながらPCの電源を入れ、モソモソ晩飯でも食いながらネットニュースサイトやTwitterやはてブのホッテントリを眺め、短文の感想をネットに投げ込む生活」を続けてきたベテラン受動的ネットユーザーにとっての最近のネットは「つまらない」ものと受け取られてもまぁ仕方ないよな、と思うのです。

ネットの進化とともに面白い情報はものすごい勢いで発見され言及され拡散され読みやすい形にまとめられ、黙っていても手に入るような状況でありますし、未だ情報取得発信の主力サービスであるTwitterは既に「新しい文化」とは言えないまでに成熟し流動性は著しく低下しています。様々なサービスが現れつつも、その反応や顛末は「どこかでかつて見たような展開」であることが多いのも事実です。
そして新しいネタが発生しても、「つまんねえとか言いやがる野次馬連中及び多くのブロガーたち」がこれまでに培ってきた野次馬ノウハウを駆使してただでさえ陳腐化への展開が早まっているご時世の中、あっという間にネタの旨味を使いきってしまう、そんな世相でもあります。
力強い個人プレイヤーが減ったようにも見えますが、実際は減ってはおらずむしろ増えていながら、消費スピードが早すぎて追いつかないし、個々のレベルが高まっているために中途半端なレベルではすぐに埋没してしまう、そんな贅沢な状況でもあります。
さらに、「ネット的なるものの力」がネットの先端層だけでなく様々なところで認められ流用されたことで、ネット的なるものの力が以前に比べてチープに感じられても仕方ない、とは言えると思います。
とまぁそんな世相でありますので、「受動的ネットユース」の範囲においてはある程度「つまらない」時代にはなってるんだろうなぁと思うわけです。

で、ですよ。
この「ネットつまらない」に対して「観測範囲の問題」「テレビ番組がつまらなければチャンネルを変えれば良い」というのに対してはなんというかこう、空虚な正論だなぁと感じられるところはあります。
「今のネットに楽しみを感じている人が満足していない人を無理やり押さえつけるためのあまり実りのない論」に感じられるのです。

地上波テレビ番組に例えると、今回の「ネットつまらない」と言い出した元増田にとっては「フジテレビとか日テレとかのクソつまんない番組を避けてNHKを見ていたのに、NHKまでつまんねぇことになりやがったファック」と言いたかった話であると思います。そんな相手に「チャンネル変えてみなよ?」と言ってもそりゃあ無駄だろうと。スカパーやケーブルテレビの専門チャンネルに誘導する…という方法は考えられなくもないのですが、専門チャンネルを見る趣味とガッツがあったら、そもそも「ネットつまらない」って言ってる暇あんまないんですよね。というわけで多分これも彼らには刺さらない。

というわけで、あれこれと元増田を諭すエントリが出てきているのですが、元増田のような「この界隈にいる受動的ネットユース」の方々が「つまらない」というのであればその答えはただひとつ、
「そうだねぇ、確かに面白くなくなってきてるねえ。うん、面白くないのに縛られてても仕方ないからネットやめれば?」
であると思います。いや本当に。

 
で、で、ですよ。
「ネットつまらない」論で、「つまらないと言ってる奴をどう変えるか」というのを考えるのはすごく不毛で面白くないのですが、自分にとっての「ネットはつまらないか?」というのを考えてみるのはとても楽しいんですよ。

俺の場合、「Yahoo!Japan以後のネット」は大体変わらずエキサイティングなままであり続けています。
定住したりゲリラったりしながら好き勝手に発信するというのはやはり「ネットならでは」の格別な面白さですし、文章書いている限りにおいてはまず間違い無く飽きないってのはありますが。(またそうして書くのが楽しいと、話題の少ない時期のほうがチャンスに感じられたりしてしまうのですよね…)
それ抜きにしても、ネットで知ったお店に行ってみたい、面白そうなものを観たい読みたい、面白そうなことを実際にやってみたい、ネットで出会った面白い人に会ってみたい…など「実際に」という機会を考えるととてもじゃないけど退屈している隙がないわけで、「ネットがつまらない」とか言ってる場合じゃない。
さらに、うっかり新しい趣味を持ってしまうとまた大変。今まで全く視野に入っていなかったネットの別世界がぐわっと広がってまたネットを見る時間が増える。知らなかった楽しみが一気に増える。で、変な知識つけてさらにその趣味にのめりこんでみたくなる。それこそ「スカパーやケーブルの専門チャンネルを楽しみだしてしまう」ようなネット利用法が見についてしまう。

というところを考えると「おもしろきことのなきネットをおもしろく」感じるためには、
・発信側に楽しみを見出す(それこそ匿名ダイヤリーなんて書いてねぇで)
・趣味そのものを変える
というところが解決法になるだろうなぁ…と思ったりします。
ただ、どちらも「受動的ネットユースの楽しみを取り戻す」ための方法としては「受動的ネットユース」に対して負担が大きすぎてあまりにも主従逆転しているとは思うので、「こうするといいよ!」と諭すワードとしてはやっぱり……「伝わらない正論」でしかないのでしょうね。

うん、やっぱり「面白くないのかー、じゃあやめれば?」で万事オーケーだと思います。つまんないならやらなくていいよ。発信してない人がやめても誰も困らないんだし。

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