メシマズ写真から思う、現代の「写真」の文化

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デジカメを手に入れてヒャッハーした連休を迎えますところでね、@masudasさんhttps://twitter.com/masudas が、「すげえ美味しい店に行ってるのに撮る写真がとにかくひでえぞ!」ってのが話題になったわけですよ。

詳しくはこちらで見ていただくとしましてね。

友人の @masudas のご飯写真があまりに“メシマズ”で震えた話 – NAVER まとめ 

 

控えめに言いましてね、ダーマス先生は天才なわけですよ。この作品群ときたらもう「天才」「笑い死にさせる気か」としか言い様がないわけです。この才能を分解すると次のような流れになります。

・最高に美味い飯屋を知っていて、素晴らしい体験をされている(優れた味覚)
・記者として実に素晴らしい実績をお持ちで、素晴らしい食事体験を短いながら印象的な言葉でまとめている(際立った文章力)
・最高に美味しいはずの料理をゴミクズのように撮影する(壊滅的な写真術)

天才すぎる。

「最後の晩餐にしたいくらい美味かった博多やま中のもつ鍋」「飛騨高山でいただいたA5ランクの飛騨牛ステーキ。まさに最高峰だった」がこれこれですよ。
飛騨高山に「最高峰」をかけるウィットを発揮しながらの、これですよ。

天才にも程がある。

この話題は元々は「まともな写真とダーマス作品の対比」という形式で始まりましたが、「まともな写真」側が「まぁ…そうだよね、こういう感じだよね」といったものであるのに対して、ダーマス先生作品は「色味がおかしい」「構図がおかしい」「道路に直置きしたように見える」「あえてマズそうな角度から撮ったとしか思えない」などなど豊富なパターンまたはその組み合わせで攻めてきています。
氏の作品集は総じて、「普通に撮ればよいところ、なぜかその料理や周辺の『あまり美しくない側面』にフォーカスしてしまっている」ように見られ、素材の中から生理的嫌悪感を抱かせるアングルを見つけることに天賦の才がおありのご様子。
NAVERまとめで1まとめとして終わらせるにはもったいない。あまりにもこの才能はもったいないので編集者@daichi が担当編集者としてサイトを持つべきだと思います。

で。
しかしこう、写真というのは面白いものです。
フルスペックの一眼レフで撮影しても「カメラは素晴らしい。被写体も良いものであるとわかる。でもなんだかカメラのスペック通りに撮影された写真としか感じられない」という写真もあれば、「iPhoneで撮った吉野家の牛丼写真にも関わらず、牛丼から立ち上る熱気や紅しょうがの酸味すら感じられる」ような写真もあります。
金子平民先生のような「日常の中の日常を切り取って、最強クラスにグッと胃袋を刺激する」写真もあれば、タケルンバ卿や941さんのように「旨いものを最高に旨そうに切り取る」写真もあります。あれ…食べ物写真のことばっかりだな……。

写真というのは「その技術云々」だけでなく、「その人がカメラを通じて何を見ているか」が見えてくるものだと思っています。少なくとも僕はそう感じ、そう見ています。文章と同じくらいその人の視点が見えてきてしまうと。
そしてiPhoneも4以降になると、それがわかりやすく出てしまうくらいには性能が上がってきているなと。

ダーマス先生はあまりにも天才すぎるのですが、改めて考えてみると、「今やほとんどの日本人は毎日、常にカメラと写真をアップロードあるいは送信できる環境にある」わけです。デジカメを保有している人も少なくありませんし、ほとんどの携帯電話にはカメラ機能が備わっています。そしてInstagramやmiil、Twitterやfacebookなど、写真を公開する場も十分すぎるほどに整っています。
もはや、写真術というのは「カメラを趣味とする人の専門技能」という狭い枠ではなく、あらゆるコミュニケーションに使われる、文章力と同じくらいに必須な技術になっていることを感じさせます。
「カメラを持っていないから」「練習する機会なんてないから」などと言い訳をせずに、必須の技術として最低限の撮影くらいはできるようにならないといかんなぁと、そう感じるのであります。

ただ、ダーマス先生は真の天才であらせられるので、このまま素晴らしい写真を撮り続けてほしいと願っています。

追記:なお、ダーマス先生の作品群は「一緒にメシを食い、一緒に撮影をしている」@daichi/@narumiという非常に仲の良いグループで行われている遊びであるようなので、例のまとめに対するブコメの指摘はまったく的外れであることは証言しておきたいと思います。ていうか超楽しそうなので飯会に参加したかったぜ…。

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