自転車が好きで休日に100km以上走るのが楽しい。平日通勤時にちょっとだけ自転車に乗れることすら幸せだ。最近はパーツ漁りが一段落して落ち着いたものだが、新しいパーツやアクセサリを見るとワクワクする。
銭湯やサウナが好きだ。風呂はいい。サウナはもっといい。風呂・サウナに入ると頭がからっぽになり本当にサウナで汗を流すマシーンになってしまうのだけれど、それがとても心地よい。
テレビのスポーツ観戦が楽しい。F1を見始めてからもう26年、四半世紀が経過している。当時の熱狂がそのまま持ち越されるわけではないが、F1を見ないという選択肢は自分にとって存在しない。ツール・ド・フランスは昔フジテレビで放送していた頃に見ていて、この数年再開しているがやはり楽しい。今年はスタートから完全生放送をしていて毎日5時間のレースを見ているが、「4時間半は何事もなく、最後の30分だけ激しいレースになる」ような展開であってもそれはそれで楽しい。
最近リアルタイムでテレビを見れる機会が少ないが、評判の良かったドラマやアニメを一気見するのが楽しい。1クールアニメなら2~3日で消化できてしまうので、思いを馳せる密度が半端ない。またこういう一気見スタンスだと動画配信サービスの月額費は神がかってコスパが良い。リアルタイムのTwitterの盛り上がりに参加しないことを少し残念に思ったりはするけれど。
長距離の散歩も楽しい。何年も自転車にばかり乗っていると「歩く」筋肉がひどく弱まるようで、昔のように長距離を歩くようになったのだけど、改めて散歩を始めるとこれが地味に楽しい。音楽を聞いたりネットをしながらぶらぶら歩けるのは自転車じゃ無理なので。
自炊して本をタブレットで読むのが楽しい。最近は新規購入のかなりがkindleに移行するようになったのだけど、自宅の蔵書を電子化する作業が一向に終わらない。2000冊以降は数えていないが大量の書籍データを持ち歩き、自宅のNASからデータを呼び出すこともできる。全ての蔵書を電子化できたらどれだけ快適か。
ソシャゲも楽しい。パズドラ・ケリ姫や消滅都市などいくつかのソシャゲにハマっていたけれど、今はFGOを楽しんでいる。主なプレイ時間が就寝前と通勤時なので、自転車で離れた駅まで走るとプレイ時間が減るというジレンマがあるけれど、地道に楽しんでいる。単純なソシャゲに時間を費やすことを無駄だとは思わない。多くのゲームは最初の興奮が過ぎると単調な作業になるものであり新鮮な刺激は得られなくなるもの、そういうものでありその上で楽しむ価値があるものだ。
というわけでPCゲームも、特にシミュレーションが好きだ。CIV、三国志、信長の野望。小学生の頃から「この手のSLG」を延々プレイしている。新作が出れば購入しているのだけど、未だにCIVは3が好きで延々プレイしている。
たくさんの楽しみがあるこの人生は本当に素晴らしい。ただ、全てを十分に楽しむためには圧倒的に時間が足りなすぎる。
英語を学びたい。中高とあれほど嫌い抜いた英語だけれど、やっぱり英語は必要だ。意識高い意味合いだけでなく、既存の趣味──F1やインターネット──に役立てられれば比喩ではなく世界が広がる。
登山にチャレンジしてみたい。ふらっと山を歩いて山頂でコーヒーを淹れる(あるいはカップヌードルを作る)姿に憧れる。
ボルタリングもしてみたい。絶対に減量が必要だけど、あれはとても楽しそうだ。
昔楽しんでいたBMX、インラインスケート、挫折したスケボーもまたやりたい。飛んだり跳ねたりが楽しいかって?本当に楽しいんだ、あれは(スケボーは結局オーリーができなかったので挫折したのだが)。
喫茶店で美味しいコーヒーを飲むのが好きだが、もっと手を広げて片っ端から良店を攻めてみたい。自宅でコーヒーメーカーを使って楽しんでもみたい。
最近すっかり行かなくなっているダーツも再開したい。初心者レベルを脱することができないでいるが、時折腕がうずく。
プロサッカー観戦はかねてからしたいしたいと思っている。代表戦やチャンピオンズリーグを見る程度で留めているが、Jリーグにハマったら抜け出せないだろうなと思うほど楽しそう。サッカー野球は情報収集に無限に時間を費やせてしまいそうでなかなか踏み込めないでいる。
歩きついでに写真も撮りたい。とはいえ写真の技術が稚拙に過ぎるので、とりあえず「行った街を写真で記録として収めておく」ような取り組みから始めたいと考えたりする。
歴史本を読み漁りたい。学としてはまるでダメダメだったが、ここのエピソードを見るのはもともと好きで、各時代の文化・暮らし方や統治の仕組みなどを調べるのも楽しい。趣味としての歴史漁りをしたら、どれだけ日々歩く道や耳にする情報が楽しくなるだろうか。
手間のかかる料理もしてみたい。昨年からシャトルシェフの便利さにハマリ続けているが、手間のかかる面倒な料理というのは実に楽しい。
盆栽もやってみたい。「盆栽」という言葉だけだと爺さんの枯れた趣味に見えるが、「野外で見える大木を、鉢の上に縮小して再現することを目指す」というコンセプトはジオラマ・ミニチュアそのもので、天然物を利用したジオラマ…となると熱くならないはずがない。
ジオラマはもともとの憧れだ。Nゲージ…の電車にはさほど関心がないのだけれど、ジオラマは見ていて飽きない。いつか自分のジオラマを作ってみたいと憧れ続けている。
将棋を趣味レベルに高めたい。ソシャゲの合間に将棋アプリで遊んでいる程度だけれど、どこかできちんとモノにしたい。プロ将棋の観戦だってきちんとしたい。大判解説会のように参加しやすくプロに会う機会が山ほどある素晴らしい文化。のめり込んだら絶対に楽しい。
手を付けたいと思っている楽しみは山ほど挙げられる。楽しみはどこにでも溢れていて、昔に比べて格段に取っ掛かりやすくコストもかからない。それなりにおっさんとしておっさん並の収入を得た今、ある程度のコストを掛けることだってできる。いつでも始めることができる。なんと素晴らしい人生。ただ、全部に手を伸ばすには圧倒的に時間が足りなすぎる。
楽しみがたくさんあり、やりたいことがたくさんある…と言うと意識高いように思えるが、そんな高尚なものでは全くない。やらなければならないことも山ほどあるのに、やりたいことがひたすらに増えていく。ひたすら時間を無駄にしてしまうような楽しみだってたくさんある。Twitter眺め続けるとか、Wikipedia巡りするとか。自堕落としか言えないような楽しみにずいぶんと時間を費やしてきたしこれからも費やすので必ずしも有意義な人生とは誇れないかもしれないけれど、それでも自分を形作る上でずいぶんと助けられてきた。
素晴らしき哉、人生!ただ、望みをすべて叶えるには圧倒的に時間が足りなすぎる。
中学から今までの人生を振り返って、「人生の退屈」を感じたことがあるかを考えてみた。まるでなかった。有益か不毛であるかはさておくとしても(というか圧倒的に不毛で自堕落であるのだけれど)。金がなくて、体調が優れなくて、一時的な退屈を覚えたことはあっても、会社の会議や親戚の家にいくなどで退屈を覚えたことはあっても、「やりたいことがない、心躍らせるものがない」という瞬間はただの一度もなかった。さらに最近はスマートフォンがあり、たった5分の間であっても退屈することがない。暇を持て余す余裕が一切ない。時間を満たすためであれば無料のものからわずか月1000円程度で始められる趣味も多い。
どこまで素晴らしいのか人生。ただ、選ばなければならないのが辛い。いくつも選ぶには圧倒的に時間が足りなすぎる。
そんなわけでraf00はこの世界が(悔しくてしょうがないところは大いにありつつ)楽しくて退屈しないと思っているのだけれど、これを読んだあなたは「退屈」しているのか、それを知りたい。
この世界に退屈することなんてあるのだろうか?退屈した自分をこの世の中の面白いものに放り込んだりはしないのだろうか?
このご時世、暇になる暇なんてあるのだろうか?
圧倒的に時間が足りない中でしょうもないことばかりをしながら、raf00はそれを疑問に思う。