本業にかまけていてすっかり「書く」ということから離れておりました。
まぁ、年が明けてからFGOにガッツリハマり倒していたり、そういえばFate/Stay Nightは昔観たけど観直してみようか、Fate/Zeroは観てなかったなっていうかオヤジ声優天国じゃん最高!などと仕事以外の時間を全てFateに捧げてしまったりもしたフレンズだったりしましたがすごーい!
それはそれとして、昨年末に起こったキュレーションメディア騒動によって、「インターネットを利用し情報の発信や拡散に加担する個人」である自分自身についてもいろいろと考えさせられ、なんとなく書くこと、情報を発信することから遠ざかってしまったところがあります。
昨年のキュレーションメディア騒動には様々な論点があり、語りたい話題も多くありますが、時期を完全に逸している上に長くもなりそうなので今は避けます。
が、あの騒動は個人にとってもインターネットとの接し方について大胆な方針変更を迫られるものであったように感じていたのです。
例えば、我々のように勃興期からインターネットに接している個人の場合、著作権については時代時代に応じてかなり曖昧な態度を取ってきました。著作権肖像権上問題のある画像を用いて遊んだことのない発信者はほとんどいないでしょうし、ダウンロードサイトを利用して三行お礼を書く経験も90年代ネットの世界ではとりたてて不思議なものではありませんでした。まぁ違法ダウンロードは当時からアレだとしても、インターネットとは「情報という財産を共有する場である」という意識がある程度あったことは間違いありません。
その後、ネットの成熟とともに個人ユーザーの法に対する意識も高まり、今では著作権侵害行為に対して強くたしなめるほどになってはいますが、そんな過去を過ごしてきた事実は消えません。そうした旧来の価値観、乱暴だった過去のネットの歴史に対してどう向き合うべきか。
例えば、バイラルメディアが叩かれている中、我々「情報の受け手」が氾濫する情報に対してどう向き合うべきか。バイラルメディアやフェイクサイトのフォロワーが「加担者」であるならば、日々情報を空気のように摂取している我々が「加担者ではない」とどう証明していけば良いのか。全ての情報に対してファクトチェックをしていくわけにはいきません。なにがパクリでなにがパクリでないかの元を突き止めることが難しい場合もあります。自分にとって良質なコンテンツが見つかった時、それがパクリであるとわかった時のやるせない気持ちを今後ずっと抱え続けなければならないのか。
そして例えば。
我々自身が「メディア」になれる、あるいはメディアであるインターネットにおいて、我々自身がどう発信していくべきか。
キュレーションメディア騒動は暴力的にまとめると「(must)メディアというものは有害であってはならない」と突き付けたものであると思います。その方向性について異論はないのですが、この理想は我々個人発信者にも返ってくるものであります。
と。
そんなことをつらつら考えていたのですが、考え続ける中でふと自分の認識について思いを馳せると、「個人はメディアである」という考え方はあまりに理想を高く持ちすぎているのではないかと思い至ったりなどしたのです。
以前、どこかのブログに対する評で「個人の日記レベル」と嘲ったものがありました。当時その評に反発し、「個人ブログなんて個人の日記レベルで当然だろう、個人ブログにどれだけ高潔さを求めてんだ」と呆れたものですが、どうもこの2年ほどの自分も個人ブログにずいぶんと高潔さを求めてしまっていたようです。そりゃあ居心地も悪い。
というわけで、「個人ブログは個人の日記レベルで良いのだ、個人ブログを個人の日記レベルの手軽さに取り戻そう」って感じで、個人の日記を再開していきましょう。