「買えないからこそ断拾離」、ミニマリストに関する雑感

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はてな界隈で大炎上した一通りのミニマリスト事案がひと段落したようですが。
一連の「ミニマリスト」というのは、他クラスタで言えばアメブロの「芸能人やモデルブログを真似してオシャレ飯やコスメや高額品を購入して写真をアップして、エレガントな生活を送っている(ように見せている)ブロガー」のように、「他人が羨むネット人格」を構築したい一つのモデルだったんだなぁと眺めております。

ネットを使って某かの人物になりたい、というのは結構な数のネットワーカーが持つ願望でありますが、仕事も忙しく、自慢できるスキルもなく、継続して執着できる何かを持っているわけでもなく、何か特定のライフスタイルを身につけ見せつけるには収入が圧倒的に不足している……そんな人にとって、身の回りのものを全て捨ててしまうというミニマリズムは、実に適したライフスタイルであるのかもしれません。
なにせ、ミニマリストになるためには資格やコストが必要ありません。家にあるモノを捨て、服を捨て、(気合が入ったミニマリストになると)仕事を捨て、最小限の生き方をするだけなら金額的な投資は必要ないのですから。
また他の種類のブロガーと違い、イベントに出かける必要もなく、世の中のせわしい情報を追いかけ続ける必要もありません。

そんなわけで「ネットで某かになりたい」彼らは、クローゼットから「今シーズン着る気はないけど、でもまた着るかもしれないから取っておこう…」と入れっぱなしになった服を捨て、「我こそはミニマリスト!」と宣言してブログタイトルに「ミニマリスト」とか「シンプルライフ」とかつけてみたり、「断拾離」カテゴリを新設しているのでしょう。
個人的には実現できそうにありませんがシンプルライフ自体は良いものだと思います。あれこれ買わずともそれなりに便利に過ごせる世の中ではありますし、無難で清潔な服を数着持っていれば乗り切っていけるくらいには寛容(それとも無頓着?)な世間になってきてもいます。
ミニマリスト個人がシンプルな生活を送る分には誰にも文句を言われるものでもなく、家にモノがないだけで叩く人間などそうそういないでしょう。

が、シンプルライフは正直ブログとしてはなかなか相性の悪いものであるということは、改めて感じます。

まずミニマリズム自体、一定のライフスタイルが完成してしまうともうネタがないということ。自身にとって最も快適なシンプルライフを追求した場合、新しいチャレンジや新たな学びを得られるものではないので、基本的にミニマリズムは継続したネタになりません。
よってミニマリストブロガーとしての自我を構築したい場合、どんどん新たなチャレンジをしていく必要に迫られます。他のミニマリストブロガーがより過激なミニマムを見せた時、それが自身にとって過剰な投棄であってもチャレンジせざるを得ないでしょう。結果としてそれが幸せに繋がるのでしょうか?

ミニマリストを名乗り、ミニマムは幸せであると強調することもあっさりネタ切れします。ミニマリズムが与えてくれるのは日々のドラマティックな出来事ではなく、無駄のない平穏な日常ですから。
そんな時にミニマリストとしてどう活動するか、とくれば「物質主義の否定」しかありませんよね。
モノに囲まれているのはアレだ!アレの奴隷になっているなんてアレだ!なぁ金沢。
「幸せになるために」と言いながらどんどんと攻撃的になっていく、捻じ曲がった自己啓発パターンにようこそ。
当初は「モノに縛られた人たちに比べて私はなんと幸せなことか」と比較の悪い側として登場するに留まるかもしれませんが、活動を続けるうちに「自分の幸せはさておき、あの害悪な存在は許せない」というヘイトにどんどん傾いていくことは、他様々な存在の歴史が証明しています。
ここにきて感度の高い攻撃的ネットワーカーだけでなく、「シンプルライフも悪くないね」と中立的だった人たちも後ろから頭を殴られてイラッとき始めます。今回の一連のミニマリスト騒動も「自称ミニマリストがわざわざ電器店に行って『モノが多いわー頭痛くなってくるわー』とヘイトを放つ」ことが大きなきっかけでした。

ブログビジネスとしてのミニマリストブロガーというのもなかなか大変なものです。
なにせ「モノに縛られない生活」を送るので、数々のアフィリエイトが使えない。使えないのだけどその中から「最低限のモノ」を搾り出すので、「ミニマリスト生活の中で最低限必要なモノ10つ」みたいなエントリが量産される。
あれあれ、でも「ミニマリスト」とタイトルについたブログで最新の(シンプルライフには絶対必要ないだろう)ガジェット情報を提供しているブログもいくつか見られますが、そこはきっとファッションミニマリストなんでしょうね。

そして、ミニマリストブロガーとして運良く大成した場合のことを考えると、──「年収150万円でも生きていける」とか本を出しながら車やら野外用ストーブやらなにやらを買ってリッチな生活をされている、東京から高知に輸出された豆もやしのことを思い出したりしますが──まず間違いなく、スタンスとして破綻するでしょう。成功者として十分すぎる年収を手に入れたときにそのライフスタイルを維持できるのか、という問題。
オピニオンブロガーが陥りがちな問題ですが、それを提唱し成功を収めることによって自分自身がその枠から外れてしまうと言うのは少ない話ではありません。

「金がないからミニマリストになった」パターンであった場合、ミニマリストとして高い年収を獲得した後もミニマリストを続ける意味があるのか…ということになりそうです。

いや別にミニマリストが大成したから生活スタイルを変えるというのも好きにすれば良いのですが、生活スタイルを改めてしまった時点でミニマリストとして積み上げてきたキャリアは失われてしまいます。また、十分な年収があったらしなくてもいい生活を「幸せ」と断じ、多くの一般的な生活者をヘイトしてきたブロガーライフのケジメはどうつけるおつもりですかい?と迫られることになるかもしれませんが、これはまぁおまけとしても。

そんなわけで、騒動以後もミニマリストブロガーは数を増しているようですが、シンプルライフを心がけるならブログや承認欲求や自己のパーソナリティに結びつけず、徹底して自分のために行うのが良いと思いますよ。