FIFAで開催地投票権の買収疑惑とテレビ放映権に関する巨大な汚職事件が発覚し、ブラッター会長が辞任を表明しましたね。
ブラッター会長自身にも追及の手が伸びる見込みであるようで、今後いろいろと注目していきたいと思っています。
また、サッカー界とオリンピック界が金満と腐敗が蔓延る過程について、非常にわかりやすいエントリが上げられており、これは必見です。
さて、サッカーについては門外漢ですが、サッカーワールドカップ、オリンピックと並んで世界三大スポーツイベントの一つであるF1も巨額のマネーが動いています。Forbusの調査によれば過去15年間のF1の収益はFIFAのそれを上回り、トップ選手の収入はスポーツ長者番付の最上位に達するF1グランプリ。
そんな超巨大スポーツビジネスであるF1ですが、アメリカンスポーツ、ワールドカップ、オリンピックと同様に、70年代から80年初頭にかけて急拡大した存在です。
この成長を成し遂げたのはあるトロール漁船の家に生まれた一人の男でした。
レース前のグリッド上で人混みの中を笑顔で歩き回る小柄な老人、バーニー・エクレストン。
この男がいったい何者で何を成し遂げたのか、その結果F1はどのように変化したのかを知らない多くの人たちに語りたいじゃありませんか。知ってもらいたいじゃありませんか。
というわけで、今回はバーニー・エクレストンとF1ビジネス、そしてF1を形作る「コンコルド協定」の話。
■バーニー・レクレストンって何者よ。
これから書いていくF1ビジネスの話の主人公(というかほぼたったひとりの登場人物)、バーニー・エクレストンの人物について最初に簡単に触れておきましょう。
バーニー・エクレストン。イギリス生まれの84歳。F1に関するほぼ全ての商業権を統括し、2003年には英国の長者番付3位を記録した、問答無用のビリオネア。
曰く、F1の支配者。曰く、世界的スポーツを私物化する男。曰く、鉄拳。
F1グランプリというスポーツを超巨大興行として成長させ、独占的で特権的な立場に上り詰めた真のボス。
F1の歴史を詳しく知らない人たちからは極悪人、あるいは小狡く悪代官に取り入る越後屋のようなイメージで語られることも少なくありません。
フォーミュラワン・グループのCEOとしてF1の商業面の管理を一切手がけています。
彼が持つ特権がどれほどのものであるか、ちらりとその権限を紹介しましょう。
・F1に関わる商業権を2011年から2111年までの100年間保持している
・テレビ放映権や名称利用などなどF1のビジネスに関するほとんどがフォーミュラワン・グループを通される
・F1グランプリ開催サーキットの選定・決定はエクレストンが直接行っている
・そのサーキットを建築しているヘルマン・ティルケはバーニーの娘婿。
今回FIFAで巻き凝った汚職事件の2要素、放映権と開催権が完全にエクレストンの手の中にあることがわかりますね。
ヨーロッパのスポーツだったF1をアジアに拡大したことやアジア圏でのレース開催を昼から夜に変更しているのは彼の意向です。またサーキットの建設を身内に任せるだけでなく、サーキット内の看板広告、売店などのホスピタリティを含む、イベント運営もフォーミュラワン・グループが握っているという、完璧な体制です。
■F1巨大化の歴史
現在でこそ「世界三大スポーツイベント」と呼ばれ、「自動車レースの最高峰」「最も豪華なスポーツイベント」と呼ばれるF1ですが、1970年代まではまるで草レースのような運営でした。
F1世界選手権としてFIAが統括を行っていたものの、商業権は各参加チームに(各チームが利益を上げられるようにとの配慮で)与えられていました。一見素晴らしい采配に見えますが、各チームはレースに参加するためにそれぞれ個別にイベント主催者と契約を結ばなければならず、イベント主催者側も出場台数が足りなければ直前でイベントをキャンセルしてしまうような適当な運営が行われていました。
イベント自体も不安定で、さらに全チームとの交渉を行わなければならないとなるとテレビ中継もままならず、68年にはスポンサーシップ制度が解禁されましたが、こんな状況ではろくにスポンサーも集まりません。
商業権を与えられはしたものの、フェラーリやルノーなどといった本業での稼ぎのある自動車メーカー以外のチームの財政は常に困窮していました。
こんな状況だったF1を変えたのがバーニー・エクレストンです。
1970年代初頭の彼は(レーサーとしてF1参戦して挫折したりチーム作って手放したりマネージャー業を務めたりした後に)ブラバムというF1参戦チームのオーナーでしたが、1チームオーナーという立場を超えて、ライバルである他チームの出場契約やギャランティー交渉を一手に請け負うビジネスを開始します。
マクラーレンやティレル、ロータスやマーチといった独立系チームはこのビジネスに参加、エクレストンの交渉により有利な条件を獲得し運営が安定していきます。これによりエクレストンはこれらのチームオーナーからの信頼を高めていきます。
しかし、エクレストンの狙いは代行業という小さなものではありません。F1というスポーツの商業的な価値を高め世界的な存在に押し上げていくこと。
エクレストンが始めたビジネスは各チームを結束させ、1974年にF1製造者協会(FOCA)を結成、この会長としてエクストンが任命され、イベント主催者やテレビ局との交渉窓口を担当することで、F1界のビジネス面で最も影響力のある人物になりました。(この時サブリーダーになったのは後にFIA会長となるマーチの創業者にして辣腕弁護士マックス・モズレーです。彼もまた稀代の傑物と言えます)
FOCAのトップとしてエクレストンはF1の拡大路線を推進。ニキ・ラウダやジェームス・ハント、ロニー・ピーターソンなどのスタードライバーも誕生し、F1は徐々に世界規模のモータースポーツイベントに成長していきます。
テレビ放送も増加、F1界にもたらす収益が一気に増すことでFOCAの発言力も年々高まっていき、本来のF1統括者であるFIAと並べる存在になっていきます。
影響力を増したチーム連合と参戦チームの意向を無視して独断で競技規則を定めていくFIA。となれば対立するしかありません。
FIAはFISAという団体を結成しFOCAと対立、FOCA側はボイコットで反発するなど対立は激化、後に「FISA-FOCA戦争」と呼ばれるほどの苛烈な勢力闘争に発展し、ついにF1分裂の危機に至ります。
主導権争いは重要ですがF1そのものがなくなってしまっては意味がない。81年、FIAとエクレストンはここに至り和解のための交渉を開始しました。
ここでエクレストンはF1を一気に兄弟で強固なビジネスに引き上げるためのチャンスを得ました。F1を再定義し、一丸となって動けるための仕組みの構築。「コンコルド協定」の策定です。
■コンコルド協定の締結
コンコルド協定というのは「F1世界選手権の運営に関して、FIAとFOCAと参戦各チームで交わされる約束事」です。
コンコルド協定の締結にあたり、エクレストン(とマックス・モズレー)の奔走ぶりは尋常ならざるものがあります。
一癖も二癖もあるチームオーナーたちを説得し、FISA側についた強豪チームを引き入れ、FIA(それも頑迷で知られるバレストルを相手に)を相手に利を説き権利を獲得する。どう考えても至難の業ですが、エクレストンはこれら全てを獲得することに成功します。
そしてコンコルド協定が締結、FIA、エクレストン、参戦チームには以下の明確な取り決めがなされました。
・FIAが管理する競技規則と技術規則の変更に関する手順を明確化する
・F1に関するビジネスをFOCAが一切の権限を確保する
・各F1チームはシーズン全戦に参加し、F1世界選手権を安定的に開催する
・選手権が安定して開催されるため、テレビ局に対し長期的な放映権を販売する
・サーキットの開催権をFOCA側で管理、サーキット内の広告とホスピタリティの収益権を全てFOCAが握る
・F1の経営によって得た収益を各チームに分配することで参加チームの財政を安定させること
これらの取り決めは全てF1を途方も無い成長に導きました。
エクレストンは翌年、ヨーロッパ放送連合から3年契約を結び、テレビ放送を拡大しました。
世界中でテレビが放送されることでスポンサーシップは増大、チームに対して多くのスポンサーが集まってくるようになりました。
潤沢な予算を背景にチームは最先端技術の開発を推し進め、レースはより魅力的になり、魅力的なレースはテレビ局にとってのF1の重要性を大きく引き上げます。露出の増えたF1に対しては、さらにスポンサーが集まっていく。そんな理想的な循環が生まれました。
彼は、地域のローカルな看板を張り出し、気の抜けたビールや冷めたフライドポテトを提供していたサーキットからチケット売上以外の権利を取り上げ、これを「安全で高級なエンターテイメント」とすべく変革しました。サーキットには国内の主要企業のスポンサーロゴを張り出し、エアコンが効いたラウンジでシャンパンを楽しめるパドッククラブを開設。レーススポンサーやセレブリティを歓待、F1が世界最高のスポーツであることを派手に外部にPRしています。
ヨーロッパを中心とした選手権開催にビジネス的な成長限界を迎えたタイミングで、エクレストンはアジア中東への進出を試みました。伝統派のファンやサーキットからの反発は大きなものでしたが、バーレーンやインド、シンガポール、そして中国に選手権は進出、ヨーロッパ企業が多かったスポンサー企業は広く世界中に幅を広げています。
またエクレストンは狡猾にもテレビ局とサーキットに対して放映権と開催料を年々増加させるエスカレーター条項を加えました。これによってテレビ局は視聴率を高めるために、サーキットは観客を満員にさせるために積極的な広告・宣伝を打つ必要を生じさせ、FOCAがマーケティングに費用を使う必要がない状況を生み出しました。
これらのビジネスの成功によりFOCAに集まった莫大な収益はチームとFIAに分配され、スポンサー費用と合わせてチームは巨額の収益を得られる存在に成長しました。ドライバーに対して支払われる年俸はコンコルド協定締結からたった10年で5~6倍になり、トップドライバーはスポーツ選手長者番付の最上位を常に占めるようになります。
コンコルド協定はチームの保護にも活用されました。90年代初頭にかけて脆弱な体制で参戦するチームが増加、レース欠場や短期間の破綻が相次いだことから参戦可能なチーム数に制限をかけ、また長年F1に参戦し選手権のブランドに貢献している古参チームに対して分配に特別な優遇措置を設けています。
これら一切をエクレストンは成し遂げました。
F1はドイツやスペインではテレビ視聴率50%を超え、ブラジルのヒーロー、アイルトン・セナの死は国葬を持って迎えられるなど、世界でも類を見ないレベルのスポーツに成長しています。
その見返りとして、超巨大スポーツの収益の約半分がエクレストンの会社に転がり込んでいます。
■エクレストンの独裁と他スポーツの腐敗
F1に関する完全な特権と、桁違いの富を手に入れたエクレストンに対して、批判の声は小さくありません。
コンコルド協定の更新のたびに各チームは分配の増加を訴えますし、単独でも世界的に大きな力を持つ自動車メーカー勢はエクレストンの方針に事あるごとにつっかかりますし、伝統派のファンはエクレストンが推進する改革に反発してきています。
しかし、エクレストンの卓越したビジネスセンス、恐ろしいほどの交渉力と面倒見の良さ、そしてなによりエクレストンの言動全てが「F1を世界最高で世界で最も高級なスポーツにする」という信念に基いているという点で、実際誰も彼を追放して代わりになれると考えていない点は、憶えておくべきポイントです。
彼の人生は多くのチームとの対立しているように写りがちですが、実際にはチームオーナーからの信頼は厚く、彼らチームの庇護者でもあります。
初期の活動において1チームのオーナーという立場を超えてライバルチームの運営を助け信頼を集めていますし、彼が持つ幅広い人脈で参加チームにスポンサーを紹介する活動も続けられています。
弱小チームに対して厳しい印象もありますが、資金難に喘いだミナルディが捨て身の暴露を行おうとした際に金銭的支援を行いこれを未然に防いでいますし、近年の新規参戦チームに対し分配として特別な奨励金を設ける他スポンサーの斡旋を行うなど、グランプリを戦い抜きたいチームに対してなんだかんだ言って面倒を見ているのが実像です。
彼の対外的な交渉は非常に厳しく、前述したエスカレーター条項を含む放映権・開催権の設定や、複数候補者を競い合わせて金額を釣り上げるなど非常にタフな姿勢が批判されることが少なくないのですが、これによって彼が儲けることは最終的にはFIAやチームの収益を増すことと同義であるため、この点において内部からの批判はありません。
(ただし、放映権と開催権の高騰は伝統的なサーキットの破綻、地上波放送を断念するなどの事例を生み出すに至っており、この点ではエクレストンビジネスの限界を迎えています)
問答無用のビリオネアでありますが、F1を食い物にして私利私欲を貪っているという印象を全く与えない人でもあります。
開催権の交渉は未だに彼が一手に引き受けて進めていますし、チームの相談事を受ければ率先して動き、経営に行き詰まったチームがあれば売却先を探してのける。
どのレースでもパドック・グリッド上で精力的に働いており、VIPの歓待からモーターホームの駐車位置まで全部自分でやってしまう。打ち合わせでコーヒーが遅れることがあれば秘書を叱りつけて自ら謝る。
裏側の交渉で凄まじく多忙であるはずなのに、イベントには必ずいるので各種メディアのインタビューにも登場頻度がやたらと多い。
巨大なクルーザーを保有しているものの「海の上でボケっとしているなんて考えられない。そんな暇があれば仕事をする」と名言していますし、豪華な車は自宅と空港を往復するためだけに使われています。家は豪華ですが、それ以上に仕事の虫。
エクレストンがあまりにも多くの特権と収益を手にしていることはFIFAやIOCが抱える腐敗とは対称的な状況を作り出しています。
今回FIFAで放映権と開催権での汚職が明らかになりましたが、F1の場合は「汚職が発生しそうな権限はバーニー・エクレストンが全て保有している」という超絶独裁体制であり、袖の下を渡して有利になる民主主義的要素がまるで存在しません。
また、放映権と開催権をめぐる収益の多くがそもそもエクレストン個人に入るという状況は、賄賂が一切通用しないということも意味しています。数億数十億程度の賄賂では富豪エクレストンを動かせませんし、彼にとっては直接開催権や放映権の提示金額を吊り上げほうが手っ取り早いのです。
エクレストンが吊り上げた金額はFIAとチームに分配されるため、内部から文句が出ることもありません。
そんなわけでFIFAやIOCのような運営に関する汚職事件とは無縁であり続けられているのです。独裁体制が素晴らしく美しいものであるかどうかはさておいて。
一方で贈賄のリスクはどうかというと、過去2件ほど事例があります。
一つは1996年、EUで煙草広告禁止法案にイギリス政府が反対し、煙草広告が重要なスポンサー源であるF1に対して2006年までの特例的な準備期間を与えた件で、96年にバーニーが労働党に100万ポンドの献金をしていたことがスキャンダルとなりました。このスキャンダルにより労働党は100万ポンドを返却したのですが、F1に対する例外措置は実施されバーニー自身も権威が衰えることなく「さらにお金まで返ってきた」とどこ吹く風。
またもう一つは2013年から行われたグリブコウスキー裁判。F1商業権を持つSLECの株式をCVCキャピタルパートナーズに集中させる動きの中で、SLEC株を保有していたバイエルン州立銀行のリスクマネージャーであるグルブコウスキーに贈賄し、SLEC株を不当に低く評価させたとして訴えられています。この裁判はバーニー・エクレストンの独裁体制を終わらせる一撃になる…と多くの人が予想していたのですが、バーニーが1億ドルの和解金を支払い裁判官・検察・弁護士が裁判の打ち切りに同意。贈賄の事実が証明されたにもかかわらず無実で切り抜けています。
この2つの贈賄事件はF1の影響力を大きく削ぐのではないかと言われていましたが、「F1界のヒール」というエクレストンのイメージに具体的なエピソードが加わっただけで、結果的にF1界全体としてはメリットだけを享受しているあたり、エクレストンの手腕は半端ありません。
というわけで、F1業界はエクレストンが牛耳り、拡大させ、支配しているよというお話でしたが、文中軽く触れたようにエクレストンの拡大路線が限界を迎えていること、エクレストンという稀代のビジネスマンが支えていた体制の後継が全く見えないことなど、今後の存続に対してはリスクだらけであったりする点も踏まえて、世界三大スポーツの一端はこんなものだったのだと知っていただければ幸い。