1994年5月1日から、早いもので20年が経とうとしています。
アイルトン・セナがサンマリノGP、イモラ・サーキットで命を落としてから20年。
その瞬間を眺めた当時16歳でしたが、気付いたら倍以上の年を過ごしてしまいました。
あの日のことを今でも克明に思い出すことができます。
いつもなら決勝結果を先取りで流してしまうので見ないようにしていたプロ野球ニュースのトップニュースとして流れたセナの事故。
決勝放送が始まったのにいつものレース前ではなく、レース後のピットロードで伝えられた厳しい状況。
1時17分のニュース速報。
キオスクに置かれている限りのスポーツ新聞を買い揃え呆然と読んでいた翌日。
間違いなく人生で最も大きな影響を与えてくれた人でした。
アイルトン・セナの勝利への意志の強さが好きでした。
全てをスポーツに捧げるアスリートの頂点の中でも、さらに人間としての限界を超える集中力を持つドライバーでした。得意の「予選圧倒、決勝逃げ切り」パターンはハマるとつまらない程でしたが、その集中力は追い上げるときでも輝いていました。
人間的な脆さ、神経質で、危険でふてぶてしいキャラクターも、多くのライバルとのやりとりも──それは後年神格化されて語られるものではなく、当時の実に嫌なキャラクターとしての彼のそれが──好きでした。
94年までのセナのレースをはっきりと思い出すことができます。
F1を観始めた90年から91年の圧倒的な強さも、92年93年のウィリアムズにがっつりやられながらも全力を尽くし、一方で最悪に我侭な姿を見せた姿も、どれも新鮮に。
毎年5月1日は──正しくは5月2日に入った1時17分前後は特別な時間として残り続けています。
20年、という言葉に特別さを感じるわけではありません。
きっとこれからも毎年迎え続ける日です。
ちょうど先日、実家からあのときに買ったスポーツ新聞が出てきました。
随分時間がたったものだけど、色あせないものですね。
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