「夢」に向かうということ

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ブログを放置していることで、日々ブログを書くのが億劫になってくるよね!っていうことで、頭の中でまとまっていないことを吐き出すテスト。

「3月のライオン」の7巻早々、山崎五段が「夢は諦めなければ必ず叶う」が無責任すぎると憤っている話がありましたが、あれは凄く同感で、省きすぎていると思うわけです。例えばこんな感じに。

(と呼べるだけの具体的で貴方が人生を費やす覚悟のある、現実的に達成可能な目標)(そのスタート地点は人それぞれ大いに違い、理不尽なほどに個人差があり、ほとんどの場合において貴方は理不尽なまでに不利なスタート地点に立っているものだが)諦め(ずにひたすら努力を惜しまず、ライバルがいるなら彼ら以上にゴールに早くたどりつくための研鑽と工夫を重ね、理不尽な才能の持ち主以上に多くを積み重ねることを厭わ)なければ、必ず(と言い切れるものは何事もないというそのシンプルな事実を超えて目標の期限の中で最善を尽くすことができたならば)かなう

また「夢」というものだけではどうにもならないことが世の中にはたくさんあって、特に限られた椅子を大勢で争うタイプの夢、自分の努力だけではどうにもならない夢(というのもほとんどの事柄がそれに当てはまるのですが)は、迂闊には「信じれば叶う」なんて言えないよねっていうのも日々思うことであります。夥しい数の「諦めずに努力した人たち」の屍の上にごく少数だけ勝者が生まれるのが「夢」の世界であるから。

で、何が言いたいかというと、「評価経済」とか「コンテンツの時代」とか「ノマド」とか、そういった最近はやりの言葉を投げかける人たちは、多くの「夢見る人たち」を、席が極めて限られていることをそしてその特等席に自分が座っていることを知りつつ、夢に向かって走らせているんだよってことを、ちょっと意識してもいいよねーって思ったりしているのです。
「Twitterを始めたらまず気になる人を100人フォローするんだ!そしたら半分くらいはフォローが返ってくるから!」なんてそんなのごく限られた人だけの話だよ!っていう、そういうことを誰かが明らかにした方がいいぜ、いいんだぜと思うのです。

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